普通、モータースポーツを始める、などと言ったら相当構えてしまうはずだ。
まず思い浮かぶのは「特別なクルマが必要なのではないか」ということだろう。
ところが、とりあえずジムカーナを始めるのために、特別な車はいらない。
買ったまんまのノーマル車両でもOKなのだ。
これが何と言ってもジムカーナへの参加を容易にしている最大の要因である。
参加するのは容易だけど、速く走るのは難しい。
この難しいところを克服して、クルマを完璧にコントロールしてタイムを出すこと。
あたり前だけど、これが何といってもイチバンの面白さだ。
もちろん、より速く走るためにはクルマもそれなりに改造を施す必要は生じてくる。しかし、モータースポーツの本質とも言える部分を、それぞれのレベルに応じて楽しめるのがジムカーナの最大の「ウリ」である。
また、モータースポーツは日常ではなかなか体験できない、限界域でのクルマのコントロールを常に行うから、確実に運転技術は向上する。
これは通常の運転でも、いざというときの『危機回避能力』として必ず役に立つというメリットもある。
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全開状態のマシンをコントロールすることは、非常に難しい。
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その上で、100分の一、1000分の一まで正確にタイムが計測され、順位がハッキリと決まるから、誰が一番速いのか、自分はどの程度なのかといったことがキチンと結果として出てくる。
これは、共通のルールに基づいて競い、その結果ついた順位であり、ゆえに客観的で且つ公式なものである。
だから、その中で得た評価はナニモノにも代えがたい喜びを与えてくれるものだ。
この部分こそが『競技』『スポーツ』の面白さだといえる。
「俺が最速だ。」という人が何人も存在することができ、ともすれば改造度合いや、根拠のない自己満足に終始しがちなストリートや峠とは、決定的に違う部分だ。
近年では車検制度が大幅に緩和されたため、「改造の自由」を「公道をサーキットのように走る事」と勘違いしている『ストリート派』という人たちが増えている。
彼らは、自動車というのが便利で楽しい反面、「凶器」そのものであり、その使用には社会的な責任が常に付随することを理解しないまま、公道で「レースの真似事」をしている。
彼らの中には「俺達は俺達で楽しくやってるから、競技には興味がない」という人がいるが、競技に興味があるなしに関係なく、一般の通行車両や歩行者・子供がいる公道で、レースまがいの走りをすることが、少なくとも正しいことでないことくらいは分かるはずだ。
本当にクルマを限界で操ってみたいと思うなら、常に事故のリスクと直面し、いつ誰が飛出してくるか分からない公道で、多くの人に迷惑をかけながら「真似事」をするべきではない。
それはどこまで行っても「レース」でも「モータースポーツ」でもないのだ。
ましてただの「遊び」で迷惑をかけるなら、車を運転するものとしては最低レベルだ。いくら否定しようとも旧来の「暴走族」と何ら変わりがない。
それならきちんとしたルールの下、合法的に堂々とアクセルを踏もうじゃないか。
それはサーキット走行でもレースでもいいけれど、敷居が高いと思ったらこのジムカーナを始めてみてはどうだろう。
ジムカーナでタイムが伸びないということは、何かがわるいという証拠だ。
それは自分の運転技術かもしれないし、クルマが悪いのかもしれない(たいてい自分の腕がヘボであることが多いけど(自戒))。
無限ともいえるそれらの要因を、自分の手でベストの状態に持っていき、自分の思った通りの走りをすることがジムカーナを始めとした、モータースポーツの永遠の課題である。
それを追求する楽しさを知った時、あなたはもはやモータースポーツの魔力から抜け出せなくなっている自分に気がつくだろう。