まえがき

ジムカーナってなんだ?

練習会に行ってみよう。

次は競技会だ。

ライセンスを取ろう。

ハマっちゃったあなたに。

快適ジムカーナのススメ。

▼付録

慣熟歩行のセオリー

国内競技車両規則(抜粋)


ジムカーナってなんだ?
〜ジムカーナ概論〜

『ジムカーナ』。

自動車雑誌などでクルマのインプレッションを見る時などに、ときどき見かけることがあるから、名前くらいは知っているという人もいる。
でもやっぱり、知らない人の方が多い。

「ジムカーナ」とはなんともケッタイな名前だが、実はコレ、JAF(日本自動車連盟)の統括の元で行われる立派な公認自動車競技、つまり『モータースポーツ』である。しかも、日本のモータースポーツの中でもっとも競技人口が多いといわれている。それなのにあまり知られていないとは、実は変な話なのだ。

ジムカーナは非常に参加するのが容易で、間口が広いモータースポーツだ。
とはいえ、じゃぁ簡単なのかと思ったら、それはとんでもない誤解である。速く走るため、勝つための要素は無数にあり、どれが欠けても勝つことが出来ない、非常にシビアな無限の奥行きを持つ競技だ。
じゃぁやっぱり難しくてフツーの人には出来ないンじゃん、となるとそんなことはない。誰でも自分のクルマで参加し、練習することで必ず上手くなる。

だから「モータースポーツには興味があるけど、自分でやるものではない」と考えているアナタにこそぜひ知ってもらいたい。自分でクルマを思いっきり操る楽しさを理解し、モータースポーツが決して遠い存在ではないことを感じて欲しい。

さてさて、前置きが長くなっちゃったけど、『ジムカーナ』は定義してみると以下のようになる。

「各車が定められた舗装のコース上を個別に走行し、個々の記録を順位判定の要素とする競技」

「なにそれ??(・。・;目が点」って感じだろう。そらそーだ。それで分かればこのページなんて必要ないもの。
てなわけで、以下に『ジムカーナ』というモータースポーツを詳しく紹介していこう。

 

●第一関門!?こんなコースを走る。
――まずは覚えるのが大変

多くのジムカーナ競技では、広い舗装路面(駐車場のようなところ)に、パイロン(工事なんかで使う三角帽子の置物)でコースを作り、1台ずつ走ってタイムを競う。最近では、カートコースなどのミニサーキットを使うことも多くなって来たようだ。この場合でも、複数のクルマが混走することはなく、あくまで1台ごとのタイムを競う。

つまり、ジムカーナは複数のクルマが同時に走ることはないので、いわゆる「レース」ではない。
タイムトライアル競技だ。

gymkhana course
左の図を見てみよう。
こんな感じでパイロンを置き、コースを決めて走る。
これは浅間台スポーツランド(千葉県)というジムカーナ場で実際に設定されたコースで、比較的覚えやすいコースだ。しかし、図で見ると簡単そうにみえるコースでも、スタート地点に立ってみると、まるでパイロンの林のように見える。

サーキットのように道が決まっているわけでもなく、次はどちらに曲がれという標識もなければ目印さえもない。何の違いもないパイロンの位置とコースどりを覚えることは、至難の技だ。

だから、ジムカーナの第一の壁は、この『コースを覚えること』である。
なにしろ、コースを間違えれば「ミスコース」という扱いになって、その走行は『失格』つまり無効となり、記録は残らないのだ。

 

●え!?コースを歩くの?
――慣熟歩行

このように“決められたコースを”、“間違えないように”、しかも“速く走ること”がジムカーナの目的だ。
大会では通常、午前と午後に1本づつ走り、速い方のタイムで順位を決める。

しかも、大抵のジムカーナの競技会では、コースを発表するのはその日の朝(!)なんである。これをコース図を見ただけで覚えて走れ、なんてのはどだい無理な話だ。
だから、これらのコースを覚えるために走行前に数十分間、『慣熟歩行(かんじゅくほこう)』と言って、実際にコースを自分の脚で歩くことが認められる。

慣熟歩行
慣熟歩行風景。散歩しているわけではない。
全員がブラブラとコースを歩く姿は、まるで散歩しているかのように見えるが、この慣熟歩行というのがジムカーナで速く走るためには、非常に重要なファクターとなるからナメてかかってはイケナイ。

この慣熟歩行の目的は、ただコースを覚えるだけではないのである。

コースを覚えるのは「あたり前」のこととして、各選手は、路面状況や次のターンとのつながり具合、またそれを一番速く走るにはどういうライン取りがベストか、そのためのセッティングはどうすればいいか、な〜んて様々な情報を収集、分析するんである。

間違いなく最初はコースを覚えるだけで精一杯だ。
だけど、“そのコースを今日初めて見る”という条件はどの選手でも同じなのだ。だからここでイカにちゃんと情報収集をしたかで、実は非常に大きな差がつくことが多い。
どんな選手でもさすがに一回で覚えることは出来ないので、通常2回から3回は歩く。
選手によっては、この慣熟歩行でその日の走りの80%は決まる、という人もいるくらい重要なのだ。

 

●キャンギャルは?
――硬派な競技なのだ

モータースポーツというと、サーキットレースしか思い浮かばない人は、F1やツーリングカーレースのような華やかなイメージを連想する人もいるだろう。
しかし、キャンギャルが笑顔を振りまきながらパドックを闊歩する・・・というような華やかな世界とは、残念ながら現状のジムカーナは無縁だ。
全日本選手権ともなると、さすがにそれなりに演出が行なわれる場合もあるが、それ以下の大会では望むべくもない。

これには色々理由があるが、一番の理由は、ジムカーナが「興行的」な競技ではなく、参加することがメインの競技だからだ。
興業として開催する側面を持ち、興行的収入を期待したり、そのために媒体露出を積極的に行なう「プロの世界」ではない。もちろん、スポンサーがついたりサポートを受ける選手もいるが、基本的にジムカーナ選手というのは大半がアマチュアだ。純粋に「競う場」としてのみ競技会は存在し、経済的利益を目的とした興行的な運営がされることは一部を除きほとんどない。

また、タイムトライアル競技であるジムカーナは、複数のクルマが混走してデッドヒートを繰り広げるという場面はないので、抜きつ抜かれつの分かりやすい面白さはない。
もちろん、次々と出走していく選手が、それぞれ究極までテクニックを競いタイムを削り、刻々とタイムを更新していく競技会の模様は、実際目のあたりにするとかなり迫力のあるものなのだが、興行的には演出のしにくい競技形態であることは間違いない。

このように、あくまでもアマチュアスポーツが主体のジムカーナは、まぁハッキリ言ってかなり地味ではある(笑)

アマチュアイベントがメインのジムカーナ場は、サーキットのような大きな運営主体が経営しているわけではないから、設備が整っているわけでもないし、大会とは言っても何万人もの観衆が押しかける、なんてこともない(大体入りきらないって)。

というわけで、前述のように「きれいなキャンギャルのオネェちゃん連中が笑顔を振りまきながらパドックを闊歩する」、な〜んて場面を期待してはイケナイ(笑)。
大会によっては呼んでくれるところもあるけど、そんなことがあったらありがたく拝むべきだ(笑)。個人的な経験では、スタート前に慣れないセクシーギャルが目に入ると、集中力が途切れて非常に困るのだけれど(爆笑)。

 

●このタイム差はなんなの?
――ジムカーナの技術と奥深さ

ここまで見て、「なんだかジムカーナってのは面白くなさそうだな」と早ガッテンした人、あなたは甘い。
前述の通り、ジムカーナに興行的面白味を期待しても、それは無駄というもの。あくまで参加して自分で運転することが、この競技の醍醐味なのだ。

もし、プロのレースのように華やかでないことをもって、ジムカーナはレベルが低いとかつまらないとか考えるようなら、それはまったく違う。
たとえば野球でも、都市対抗野球や実業団野球はプロではなく地味だけど、それに打ちこむ人がいてレベルを高め、時にプロにスカウトされそのまま活躍し、果ては大リーグにまで行ってしまう人もいる(野球には詳しくないが、記憶が正しければかの野茂選手はそうだったはずだ)。
ジムカーナも全く同じである。草野球のように気軽にやる人もいれば、それに打ちこんで勝つために必死でやっている人もいる。
こうして日々しのぎを削って競争している世界が、どれだけ厳しいレベルの技術を求められるかは、想像に難くないだろう。

実際に自分で運転してみると、まさしく『百聞は一見にしかず』。
自分が必死コイて走って出したタイムと、上級者の選手が同じようなクルマで出したタイムとのあまりの差に、おそらく愕然とするはずだ。
おそらく、ジムカーナをやってみようと思う大半の人は、それなりにクルマが好きで、それなりにいろんなフィールドで走ってきた、クルマの運転にはちょっと自信がある人だと思う(実は筆者もそうだった(^^ゞ)。
このプライドが見事に打ち砕かれるほど、タイムが違う。

コーナーの進入で「どうして?」というような姿勢変化をみせたり、どう見たってクルマの最小回転半径より小さいターンを、まるで魔法のようにクルマを自在に操ってターンしていく姿を目の当たりにすると、多分キツネにつままれたような気分になる。
サイドターンなどはその典型だ。

前述の通り、ジムカーナという競技は、パイロンの置き方や、また、同じパイロンの置き方でもコース取りの仕方を変えることによって、無限にコースを作り出すことが出来る。
その日の朝、ジムカーナ場に着いて初めて分かるそのコースを、午前と午後の2本だけで最高の走りを競うのだから、実は相当に高度な競技なのだ。

だから、「慣熟歩行」で得られた情報や他の選手の走りに基づいて、自分の走りを構築し、それに沿ってクルマを正確に・・・というより『精密に』コントロールしなくてはならない。
クルマの性能差も小さいクラスでは、本当に各選手の腕の差で勝負がつく。
同時に走行しているわけでもないのに、各選手が揃って100分の1秒、1000分の1秒の差で走る、なんてことはザラである。
微妙なラインの差、ブレーキングポイントの差、それによって起こるクルマの姿勢の差、その結果アクセルオンのポイントが数センチずれた・・・など、非常に多くの要因によってタイム差がつき、負けてしまう。

だから、クルマのセットアップ、ドライバーの技術、その技術をいつでも最高に発揮できる精神力、剣道で言うところの『気・剣・体』が一致しないと勝てない、ヒジョ〜にシビアな競技なのだ。
しかし、だからこそモーター“スポーツ”なんであり、一度足を踏み入れたら抜け出せない奥の深さを持っているのである。

 

●うわっ!出来たっ!
――ジムカーナにハマるわけ

普通、モータースポーツを始める、などと言ったら相当構えてしまうはずだ。
まず思い浮かぶのは「特別なクルマが必要なのではないか」ということだろう。
ところが、とりあえずジムカーナを始めるのために、特別な車はいらない。
買ったまんまのノーマル車両でもOKなのだ。
これが何と言ってもジムカーナへの参加を容易にしている最大の要因である。

参加するのは容易だけど、速く走るのは難しい。
この難しいところを克服して、クルマを完璧にコントロールしてタイムを出すこと。
あたり前だけど、これが何といってもイチバンの面白さだ。
もちろん、より速く走るためにはクルマもそれなりに改造を施す必要は生じてくる。しかし、モータースポーツの本質とも言える部分を、それぞれのレベルに応じて楽しめるのがジムカーナの最大の「ウリ」である。

また、モータースポーツは日常ではなかなか体験できない、限界域でのクルマのコントロールを常に行うから、確実に運転技術は向上する。
これは通常の運転でも、いざというときの『危機回避能力』として必ず役に立つというメリットもある。

フルブレーキ
全開状態のマシンをコントロールすることは、非常に難しい。
その上で、100分の一、1000分の一まで正確にタイムが計測され、順位がハッキリと決まるから、誰が一番速いのか、自分はどの程度なのかといったことがキチンと結果として出てくる。
これは、共通のルールに基づいて競い、その結果ついた順位であり、ゆえに客観的で且つ公式なものである。
だから、その中で得た評価はナニモノにも代えがたい喜びを与えてくれるものだ。

この部分こそが『競技』『スポーツ』の面白さだといえる。
「俺が最速だ。」という人が何人も存在することができ、ともすれば改造度合いや、根拠のない自己満足に終始しがちなストリートや峠とは、決定的に違う部分だ。

近年では車検制度が大幅に緩和されたため、「改造の自由」を「公道をサーキットのように走る事」と勘違いしている『ストリート派』という人たちが増えている。
彼らは、自動車というのが便利で楽しい反面、「凶器」そのものであり、その使用には社会的な責任が常に付随することを理解しないまま、公道で「レースの真似事」をしている。

彼らの中には「俺達は俺達で楽しくやってるから、競技には興味がない」という人がいるが、競技に興味があるなしに関係なく、一般の通行車両や歩行者・子供がいる公道で、レースまがいの走りをすることが、少なくとも正しいことでないことくらいは分かるはずだ。
本当にクルマを限界で操ってみたいと思うなら、常に事故のリスクと直面し、いつ誰が飛出してくるか分からない公道で、多くの人に迷惑をかけながら「真似事」をするべきではない。
それはどこまで行っても「レース」でも「モータースポーツ」でもないのだ。
ましてただの「遊び」で迷惑をかけるなら、車を運転するものとしては最低レベルだ。いくら否定しようとも旧来の「暴走族」と何ら変わりがない。

それならきちんとしたルールの下、合法的に堂々とアクセルを踏もうじゃないか。
それはサーキット走行でもレースでもいいけれど、敷居が高いと思ったらこのジムカーナを始めてみてはどうだろう。

ジムカーナでタイムが伸びないということは、何かがわるいという証拠だ。
それは自分の運転技術かもしれないし、クルマが悪いのかもしれない(たいてい自分の腕がヘボであることが多いけど(自戒))。
無限ともいえるそれらの要因を、自分の手でベストの状態に持っていき、自分の思った通りの走りをすることがジムカーナを始めとした、モータースポーツの永遠の課題である。
それを追求する楽しさを知った時、あなたはもはやモータースポーツの魔力から抜け出せなくなっている自分に気がつくだろう。

 

●素朴な疑問:危なくないの?
――安全に全開を!

走り屋系の雑誌やヤンキー系雑誌、またレースや峠・高速バトルを題材にしたマンガなどを見ていると、『恐いもの知らず・命知らず』であることがエライ・・・なんて風潮で描かれている。
湾岸道路を300キロで走ったり、一般車がいる首都高でタイムを競ったりする『無謀』で『傍若無人』な行為を礼賛するかのようだ。

まったく・・・・・
馬鹿言ってんじゃないっての。
である。

そんな感じなので、「車の競技やってます」なんて会社の人に言おうモノなら、「危ないんじゃないの?」とたいてい聞き返される。
時には、「危険なことをするほどクルマが好きな変わり者」なんて目で見られることすらある。
では実際はどうなんだろう?

結論から言おう。

『モータースポーツ』は危険である。

しかし、

公道で同じことをやるのに比べたら、比較にならないくらい安全である。

これが答えだ。

モータースポーツは公道における普通の運転とは、違うスピード域や限界域で車をコントロールするから、そういった意味では危険そのものである。
しかし、モータースポーツのための設備が整ったところで、自らも危険を防止する装備をし、危険を認識して行動することで、その危険度は何十分の一になる。
むしろ対向車や駐車車両、歩行者がいない分、よっぽど安全なのだ。

モータースポーツでは、あらゆる規則が「安全」を期すために制定されている。
コースの基準も車両の基準もそうだ。
ベルトの取付け方、ヘルメットの規格、ドライバーの服装などまで細かく規定されているのは全て安全の確保のためである。
こうして安全に対して万全の準備を整えた上で、自らの責任において、車を全開で走らせてコントロールする。
その上で起こった事故ならば、これは不可抗力と言える。どのスポーツでも同じ事だ。
筋肉を傷めたり、転んで怪我をしたりするからマラソンは危険だ、という人がいるだろうか。

ジムカーナの場合、モータースポーツの中でもスピード域は低い部類になる。
しかもタイムトライアル競技だから他車との接触という形での事故はないし、ドライバーの運転技術とコース取りなどのミスが重ならない限り、最近では転倒事故も少ない。
ノーマルの車なら、出せるスピードもタイヤのグリップ力も限られてくるから、転倒するほどの領域まで達しない。
ダートラなどでは転倒の危険は常にあるが、その分ロールケージの装着を義務づけているため、転倒してもかすり傷一つ追わないことが大半だ。

モータースポーツが危険だ、というのはあくまで「普通の運転」から比べたら、の話であって、公道で「普通じゃない」走りをするのに比べたら、圧倒的に安全なのである。

 


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