[2004/03/12]もう無理だってば。

「ジムカーナ」ってモノを今一度よく見つめ直してみると、JAF的にはもともと「レースを始めたい人の入門競技」という位置付けだったらしいし、現在でも意識的にはそうらしい。

しかし、この「位置付け」と現実のあり方のギャップが、今ジムカーナ界で起こっているさまざまな問題の根本にある気がしてならない。

一番顕著な例は、その「入門競技」たるジムカーナに「全日本選手権」まであるヒエラルキーを設定してしまった、ということじゃないかと思う。これはその「位置付け」から考えたら明らかにおかしい。

だって、「入門競技」であることと、日本一を争うレベルである「全日本」の間には、どうみたって存在に矛盾がある。全日本が「入門競技」なのか。んなわきゃない。

「入門競技」であるからには、誰でも始めやすい環境やルールを用意するべきだ。これは当然である。なんたって対象は「これから競技を始める人」なんだから。

これを車両規則面で見てみると、車検制度が不当に厳しかったひと昔前なら、それに合わせた改造制限を施した規則が妥当だったのかもしれない。
だけど現在は違う。
日米貿易摩擦から生じた車検制度の緩和にともない、改造がこれだけ一般化し、クルマ好きを自称する人の中ではマフラーや脚を換えていない人が稀有になった現在、むしろそれに合わせたほうが「誰でも」始めやすいことは明らかだ。
時代も世紀も、20年前とは違うのである。

こう考えると、現在ジムカーナで設定されている「N車両」はこれに背を向けていると言わざるを得ない。

たしかに、N車両が導入された背景にはそれなりの事情があった。
2002年まで採用されていた「A車両」規定は、96年以降、それまで厳しく制限されていた改造を、世の中の流れに合わせるようにどんどん緩和して行った。
この姿勢自体は前述の通り、「入門」者を意識する限りは間違いではない。

しかし、ここで問題となるのが「全日本」の存在だったのである。

もはや「入門」者とは到底呼べない「玄人」が、わずかな差を争うシビアな世界では、規則で許された限界部分まで改造を競うこととなる。これが、想像以上のコスト増を招いた。
選手個人の意地や名誉といったレベルの話もあったが、実際には全日本という場が「パーツメーカー」や「ショップ」にとって恰好の宣伝となり、「商売のネタ」になったことが、これに大きく拍車をかけた。

全日本で実績があるとなれば、しだいに下のレベルの大会にも浸透して来る。
もともと全日本ほどドライバーの腕が拮抗しているレベルではない。本当にそのパーツや改造で勝負が決まるのか、本人たちも定かでないレベルの大会でさえ、ほとんど盲目的に浸透した。

以前の、改造制限の厳しかった時代を知る人はこの状態を嘆き、また、車両製作コストが高騰したと危機感を煽る人が出てきた。
さらに、ジムカーナ人口の減少が見られると、これをこのコスト高騰のせいだと主張する人さえ出てきた。
実際にはわが国の経済停滞がいよいよ末端にまで浸透してきて、ジムカーナごとき道楽に注ぎ込める余裕が少なくなったという理由の方が、はるかに大きいにも関わらず。それはもはやアレルギーかヒステリーのような様相だ。
(その証拠に、N車両メインになったからと言って爆発的にジムカーナ人口が増えたという話は、寡聞にして耳にしない。)

N車両規定は、こうした過程を経てできたものだ。
A車両の「改造競争」が大きく極端に振れた状態だとすれば、今度はそれを著しく制限する反対側の極端に振れたのが、このN車両規定といえる。
それくらいこの両規定の差は大きい。

しかし、「改造競争」と揶揄された状態が、従来の改造レベルでは見向きもされなかったジムカーナというものと、一般のクルマ好きとの「段差」を非常に低いモノにしたことは事実だ。
この点においては明らかにねらい通りだったと考えていい。
これは否定できないし、否定する必要もない。

そして実際、今のジムカーナ界が必要としているのは、この段差を乗り越えて来てくれる人たちなのである。
というよりそもそも「入門競技」であるジムカーナは、そういう人たちのために存在しているという「前提」を、忘れてはならない。
こうして見たとき、果たして現在の「N車両」がこうした人たちにとって魅力的なのだろうか。
彼らが「競技」というイメージに求めるモノと、実際のN車両との間にある「段差」が、彼らがそれを乗り越えてくるに足るほど低い物なのか。

それをまず考えるべきなのだ。

「N車両」の中身の是非を考えず、単に「旧A車両より車両製作コストが安いから」という理由だけでN車両を肯定するのは、この観点から言えばまったくおかしい。

「コストが高騰」したと嘆き、困った困ったと騒いでいたのは、すでにジムカーナにどっぷりはまり、競技といえばそれしかないと思いこんでいた、ジムカーナオタク層のみである。
そんな小さな世界の論理で、「クルマ好き」一般に対して高い壁と溝を作っていることに、冷静に思いを致さなければならない。

悪かったのは「A車両規定」ではない。

「入門競技」としてあるべき車両規則を、時に「商売の場」と化す全日本選手権にもそのまま適用してしまったことに、大きな過ちがあったのである。
そしてその過ちは、現在もなおN車両規定によって継続されている。

願わくば、上から下まで同じ車両規定で、という考え方は理解できる。

しかし、冒頭で述べているように「ジムカーナ」のそもそもの存在意義を考えると、「入門」者から「玄人」である全日本まで同じ車両規定・・・というのは、実際には無理があるという「事実」を、我々はA車両での経験から真摯に学ぶべきだ。


N車両規定、まことにけっこうである。

しかし、これではジムカーナを始めてみようという「入門」者を、最初の関門でバッサバッサと切り捨て過ぎている。
あまりに世の中から隔絶し過ぎなのだ。
マフラーもピロアッパーも、世の中の「クルマ好き」なら、誰でも当たり前のように買い求めるシロモノなのに、これをもって「コストの高騰化」を懸念するのはナンセンスと言わざるを得ない。

さりとて、現在都県戦レベルで採用が相次いでいる「B車両」規定では、これはこれで「あそこまでやらにゃいかんのか」という点で、逆に「入門」者層に大きな段差となっている可能性もある。
これは、N車両にもS車両にも当てはまらない旧A車両を、従来通り走らせるために生まれた救済的意味合いのクラスだが、さすがにかつての全日本ほど極端に振れるとは考えられないものの、それこそ「なんでもあり」になりうる可能性は秘めている。


僕は考える。
N車両以上旧A車両未満くらいの、「クルマ好き」にも抵抗が少なく、上限の改造をそれなりに厳しくした車両規定を地区戦以下のカテゴリーに、それ以上は現行のN車両規定+αといったダブルスタンダードを認めてもいいのではないか。

過ちを改むるにはばかることなかれ。

何度も言うとおり、ジムカーナは全日本選手権のために存在するのではないのだから。


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